RX-7(1978年~)
第3章:開発の軌跡 FD/13B Rotary [1991~]
「ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー」を目指して。
3代目の〈RX-7〉は、1991年12月に発売となった。そして、このモデルから、サバンナの名称が外れた。同時に、当時の販売チャネルにちなみ、アンフィニRX-7と呼ぶことになる。
アンフィニRX-7の特徴の一つは、〈RX-7〉としてはじめて3ナンバー専用車体を採用したことである。車体寸法を2代目と比較すれば、全長、ホイールベース、全高はそれぞれ小さくなったが、全幅が広がって3ナンバーとなっている。すなわち、より低い姿勢で走行安定性を求めたスタイルであり、運動性の向上を目指したのである。
3代目の開発は、86年の秋にはじまっていた。これもまた、2代目が誕生してわずか1年後という時期である。スポーツカーの開発に、マツダがいかに時間を掛け、またその進化に対し真摯であったかがわかる。
この間、課題となったのは、スポーツカーの存在意義であった。というのも、スポーツカーが次第に上級車指向になる一方で、上級のスペシャルティカーが高性能化し、両者の違いが曖昧になってきたからだった。
同時に、それまでの大気汚染に対する排ガス規制や、オイルショックに端を発する低燃費指向とは別に、地球温暖化に対処すべく二酸化炭素の排出抑制が求められ、それは資源保護とは別の視点からの低燃費への要求であった。大排気量車の存在を疑問視する声が大きくなりだした。
そうした背景を持ちながら、次の〈RX-7〉の持つべき要素として、リアミッドシップ案、3ローターエンジン案、NAエンジン案、ターボエンジン案など、様々に意見が交わされた。また、内外のスポーツカーの試乗も幾度となく行い、開発方針を固めていくなかで生まれた言葉が、「ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー」であった。
ライトウェイトを求め、ボディの贅肉を極限まで落とす。
3代目〈RX-7〉の開発方針は、ロータリーエンジンの持つ優れた資質を活かし、フロント・ミッドシップを受け継いだ後輪駆動こそがベストであるとの結論に落ち着いた。
具体的には、前後重量配分を50対50の理想の値とし、なおかつヨーの慣性モーメントを下げ、また低重心とすることが、スポーツカーの基本と結論付けたのだ。そして、ベスト・ピュア・スポーツカーにふさわしい運動性能を得るため、パワー・ウェイト・レシオは5.0kg/psを下回ることを目標とした。
開発の構想が固まりつつある88年11月には、『タスクフォース』を編成した。これは軍事用語で、目的達成のための機動部隊編成、あるいは任務部隊と翻訳される。
自動車開発に必要なそれぞれの“部署”という拘束を離れ、
〈RX-7〉開発のリーダーの下で、その開発に仕事を集約するという特殊組織の結成だ。
開発のキーワードは「ときめきと輝き」。サブキーワードに「The Spirit of Zero」が決まった。
5.0kg/psを切ると目標を設定したパワー・ウェイト・レシオを達成するため、「ゼロ作戦」と名付けた軽量化に取り組んだ。
バネ下重量軽減のため、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションは、オールアルミ製とした。車体は、大きな荷重の掛からない部分は肉抜きし、強度の必要な箇所に補強を入れる、マツダ独創の『モノコック・スペース構造』を採り入れた。室内にも、ペダルなどインテリアにアルミを用いるなど徹底した軽量化のため、細かい部分へも怠りなく目を向けていった。
トータルに見直し、大幅なパワーアップを実現。
軽量化とともに、パワー・ウェイト・レシオ5.0kg/ps以下を目指すため、エンジンも大きく進化させた。
シーケンシャル・ツインターボチャージャーと、ハイスピードEGIシステムにより、従来に比べ50psも性能向上させ、255psまで馬力を高めた。エンジン本体も基本部分にまで細かく目を配ることで、全体を新設計したといっていいほどの全面改良となった。
こうして、軽量化とエンジン性能向上とにより、目標どおりの4.9kg/psというパワー・ウェイト・レシオを達成したのであった。
この優れた動力性能を的確に路面に伝え、高い運動性能を実現するため、サスペンションは4輪ダブルウィッシュボーンとし、さらに、自然な操縦性をもたらす『4輪ダイナミック・ジオメトリー・コントロール』を採用した。
挑発的な美しいスタイル。そのすべてはピュアスポーツのために。
3代目の姿は、ひと目で運動性能の進化を伝え、見ただけで昂ぶる心を覚えさせるデザインとなった。繊細な曲面で構成するデザインは、魅惑的美しさも備えている。低いボンネットフード、小さく絞り込んだ客室、偏平タイヤの装着と調和した張りのある前後のフェンダーなど、国産スポーツカーとして他に類を見ない、こだわりをつくりこんだデザインであった。
91年12月に発売となった3代目の〈RX-7〉には、S、X、Rという3つのグレードを設定し、このうちもっとも走りに特化したタイプRでは、デファレンシャルのファイナルギア比を4.100とし、他のSやXの3.909と異なる数値を与えることで、鋭い加速を強化した。サスペンションの設定も、タイプR独自の操縦安定性をより重視した強化仕様となっている。
93年8月には、最初のマイナーチェンジを行った。ここで従来のタイプRの廉価版となる2座席のR-2を追加し、タイプSとXは、4速オートマチック専用となった。そしてタイプ名を、ツーリングSおよびXと変えている。
また、国産車ではじめての採用となる、17インチ径で、フロント40%/リア45%という偏平サイズのスポーツラジアルタイヤをオプション設定した。また、その偏平ラジアルタイヤを標準装備するRZを限定発売した。
96年1月のマイナーチェンジでは、エンジンを265psにまで馬力アップし、テールランプは丸型3連に変更した。
99年1月には、「ニューRX-7」と呼ぶ大きな変更を行い、ターボチャージャーの高効率化などにより280psにまで馬力を高めた。サスペンションやタイヤを見直し、乗り心地と操縦安定性を両立しながら向上させている。デザイン面でも、フロントエアダクトの大型化や、大型リアスポイラーの装備などを行っている。安全面では、運転席に加え助手席にもSRSエアバッグを全車で標準装備した。
その後、2000年、01年、そして02年まで、限定販売を通じてスポーツカーの進化を続けながらも、2002年8月には、24年間続いた〈RX-7〉の歴史に幕を閉じる生産終了が決まったのであった。
「すべてはピュアスポーツのために」
ロータリーエンジン初の量産市販車、コスモススポーツの伝統を受け継いだ〈RX-7〉という一つの時代が、ここに終わったのである。