ファミリア(1963年~)
第8章:7代目~インターナショナル・コンパクト
1989年(昭和64年/平成元年)2月は、マツダにとって、記念すべき新車が2台登場した月になった。
一台は、シカゴ・オートショーで発表した「MX-5・ミアータ」(ユーノス・ロードスター)で、日本国内では、7代目〈ファミリア〉の誕生である。
この89年は、日本の年号表記が変わったことでもわかるとおり、昭和天皇が崩御された。間もなく日本経済はバブルの絶頂を迎え、そして崩壊する。アメリカでは共和党のジョージ・ブッシュ大統領が、強いアメリカを主導したドナルド・レーガン政権を引き継いだ。また、泥沼化していたアフガニスタンの紛争からソ連軍が撤退。そして、東欧諸国の民主化など、世界は大きな変化と転換点を迎えようとしていた。こうして、20世紀最後の10年、90年代へ向かっていくことになる。
7代目ファミリアは、従来からの3ドアハッチバックと4ドアセダンはそのままに、5ドアハッチバックを、別形態の「アスティナ」として登場させた。
輸出車名が「マツダ323F」となるアスティナは、ヨーロッパで大人気となった。5ドアハッチバックというクルマは実用車以外のなにものでもないという既成概念を破り、クーペのような格好よさと、4ドア+ハッチバックの利便性を併せ持つ、新しい価値を提供したのだ。
アメリカでは、4ドアセダンを「プロテジェ」の名で販売し、エンジンは国内より大排気量の1,800ccのSOHCおよびDOHCを設定して、信頼性への高い評価とともに、アメリカ市場での基幹車種となっていった。
マツダは、資本提携関係にあるアメリカのフォード社との間で、ファミリアを基に内外装を変更した「レーザー」を、マツダで生産し、フォード販売店で売り出していた。機能はファミリアそのままだが、デザインはフォード独自のもので、独立した個性を表現していた。
また、レーザーを基に、フォードのメキシコ工場では「マーキュリー・トレーサー」を生産し、北米市場で販売した。
量販小型車の「エスコート」も、機械設計部分でファミリアを基本としている。エスコートは、93年のアメリカ市場におけるサブコンパクト部門のベストセラーであり、トラックを含めた全車種販売部門でも9位に入る健闘ぶりであった。
7代目ファミリアにも、フルタイム4輪駆動は健在で、89年8月に発売した。これに前後駆動力配分という新しい技術を採り入れ、駆動力伝達をフロント43:リア57の配分とすることで、スポーツ走行性能をより向上させたのである。また、4輪駆動でありながら、4輪アンチロック・ブレーキ・システム(4W-ABS)を標準装備した。エンジンは、1,800cc直列4気筒DOHCターボで180psに向上させている。
3ドアハッチバックの「GT-X」は、マツダ・ヨーロッパ・チームから世界ラリー選手権へ参戦するベース車となり、グループN(小改造部門)の89年マニュファクチャラーズチャンピオン、および91年のドライバーチャンピオンシップを勝ち取った。
7代目ファミリアで特筆すべきが、92年1月に発売した3ドアハッチバックの「GT-R」である。ラリーに勝つための少量生産モデルであり、大型ターボチャージャーを装備することにより、エンジン排気量1,800ccながら210psという大馬力を得た。GT-Xの開発と、ラリーという実践経験を踏まえた技術の蓄積に、競技車向けの技術や材料を惜しみなくつぎ込んだ、公道走行の可能な「スーパー・スポーツ・ファミリア」であった。