ファミリア(1963年~)
第7章:6代目~洗練と多様化
先代の好評を受け、6代目のファミリアが誕生したのは、1985年(昭和60年)1月のことである。
日本車が大きく輸出を伸ばした70年代後半から80年代のアメリカ市場では、本家ビッグ3が低迷した。これを受け、貿易摩擦を避けたい日本は、政府主導で輸出の自主規制に踏み切った。
こうした情勢を踏まえ、マツダは6代目ファミリア発表と同時に、アメリカ・ミシガン州フラットロックに自動車製造会社を設立した。
国内では、自家用車の普及が、3所帯に2台に達していた。
6代目のファミリアは、先代を洗練・進化させたモデルであった。車種は、先代同様、3ドアと5ドアのハッチバックに、4ドアのセダンで、先代ではFRだったバン/ワゴンもここでFF化した。
デザインは、やはり先代で確立したウェッジシェイプを基本としながら、車体表面の段差を減らし、滑らかにする「フラッシュサーフェス」を採り入れている。これにより、ハッチバックの空気抵抗係数(Cd値)0.35は、小型車クラスで世界最高水準にあった。
マツダは、クルマの操縦安定性、乗り心地、静粛性、快適性という動的品質の高さを支えるのは車体であると考え、このファミリアで車体剛性の追求を徹底した。以来、マツダ車の高剛性車体は、世界でも高い評価を得るに至っている。
6代目ファミリアでは、ライフスタイルの多様化に適合するため、車種を増やしていった。エンジンは、新たに排気量1,600ccの直列4気筒DOHC16バルブと、そのターボエンジン、また、ファミリア初のディーゼルエンジンは排気量1,700ccで59psという性能で、85年7月に追加している。
同85年10月には、4輪駆動を3ドアハッチバックと4ドアセダンに展開し、日本初のフルタイム4輪駆動を装備した3ドアハッチバックのターボエンジン車には、悪路を想定した2段階の車高調整も用意した。
遊星歯車のセンターデフを装備したファミリアスポーツ4WD(マツダ323 4WD)は、世界ラリー選手権に参戦し、87年の初戦・モンテカルロラリーで5位に入賞、第2戦・スウェディッシュラリーでは総合優勝をあげている。
86年3月には、「カブリオレ」を追加した。ロールバーを残す手動式オープントップを備え、1,500ccターボエンジンによって小気味良い走りをもたらす車体剛性の確保と、オープンによる壮快な気分を両立させた。
幌は、3層構造により、閉じた際には、屋根のある通常の車体のように優れた耐候性と快適性を確保した。幌を開けたときには、風の巻き込みを抑える樹脂シートのエアロカーテンをオプション設定した。これが、のちのRX-7カブリオレでエアロボードに発展する。
6代目ファミリアも、また数々の賞を受けた。85年にはドイツ・ビルト アム ゾンターク誌の『ゴールデン・ステアリング賞』1,500cc部門、88年には、スウェーデンの車検期間による「経年変化」の評価で、ファミリア(輸出車名:マツダ323)は、2年経過車の1位、4年経過車の3位となり、厳冬の地での高品質と高い信頼性を実証した。