ファミリア(1963年~)
第6章:5代目~至難の時代の躍進
1979年(昭和54年)12月に、第二次オイルショックが起きた。今度は、イラン革命である。これによって石油生産が停止し、イランからの石油に多くを依存していた日本は困窮した。
その翌80年の6月に、5代目のファミリアとなる「ファミリア1300/1500」が誕生した。この5代目ファミリアは、世界の小型車の趨勢を採り入れたFF(フロントエンジン・フロントドライブ)の駆動方式に踏み切った。FFについてマツダは、69年に発売した「ルーチェ・ロータリークーペ」で先に経験を持っていた。横置きエンジンについては、62年の初代「キャロル」で試みているが、それは後輪駆動であった。かつて、初代キャロルや初代ファミリアの構想段階ではFFを検討したこともあったが、横置きレシプロエンジンでのFFは、この5代目ファミリアが最初となる。
5代目ファミリアは、先代と同様の2ボックスのハッチバックスタイルを継承したが、デザインは一変し、角型で、ウェッジシェイプの精悍な姿となった。
エンジンは、直列4気筒SOHCの1300ccで74psと、1500ccで85psの2種類である。
サスペンションは4輪ともストラットの独立式で、リアは、2本のロアアームと長いトレーリングアームの組み合わせにより、トーコントロールを行う独創の「SSサスペンション」を採用した。
「簡素にして効果的なサスペンション」と、内外から高い評価を受けた、抜群の操縦安定性を確保することのできるリアサスペンションであった。
利便性や快適性においても、5代目のFFファミリアは、一時代を築いた。フルフラットまで倒すことのできる前席の背もたれや、左右二分割で前方へ折りたためる後席背もたれはリクライニングの角度調整もできる便利な機能を備えていた。スポーティ仕様の「3ドア・1500XG」は、後席背もたれと側面の内装が丸みを帯びて連続する形状の「ラウンジソファーシート」を採用し、後席の快適性を高めていた。また、電動サンルーフを標準装備とするなどした「赤のXG」は、とくに若者や気持ちの若いユーザーをとらえ、人気を呼んだ。
3ヵ月後の同80年9月には、3ボックススタイルで4ドアの「ファミリアサルーン」をモデル追加した。
83年6月には、3ドアハッチバックと4ドアサルーンに、ファミリアで初めてのターボエンジン車を誕生させた。1500cc直列4気筒OHCのEGIターボエンジンは、115ps。偏平60%のラジアルタイヤを装着し、「XG-R」は前席に大型バケットシートを装備した。
5代目FFファミリアは、世界の著名な自動車と製作者に与えられる、多くの賞を受けた。
日本国内では『1980-81日本カー・オブ・ザ・イヤー』、そして、同年度の『ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー4位』、アメリカのCAR&DRIVER誌による『もっとも意味深い新車賞』、オーストラリアのホイールズ誌『1980カー・オブ・ザ・イヤー』などである。
新技術では、83年に「SSサスペンション」の設計者が、財団法人自動車技術会より『中川賞』を受けた。
1980年代は、様々な社会情勢により厳しい幕開けとなり、日本国内の自動車需要は低迷を続けたが、それを跳ね除け、5代目のFFファミリアは快進撃を続けた。82年には計3回、83年には計5回、国産小型車を代表するトヨタ・カローラと日産サニーを押さえ、国内市場ナンバーワンの月間販売実績をあげた。
82年には、量産開始から27ヶ月で100万台の生産を達成し、それまでの世界最短記録であった、GMシボレー・サイテーションの29ヶ月、VWゴルフの31ヶ月を塗り替えた。