ファミリア(1963年~)
第2章:初代~日本のモータリゼーションの黎明へ
クルマの普及だけでなく、高速化の時代を迎える、そうした世情の中でファミリアは、1963年9月に誕生した。その車名は、イタリア語の「家族」の意味で、家族が揃ってドライブへ行くという想いをこめた命名だった。
当初は、計画通りバンの形態で、2ドア+上下二分割のテールゲートという車体だった。FR(フロントエンジン・リアドライブ)の標準的な駆動方式で、バンとしての積載容量も確保していた。エンジンは、キャロルで「白いエンジン」と名を馳せたオールアルミ製の水冷OHV直列4気筒で、排気量は782ccである。42馬力のオールアルミエンジンが、この時代に実現できた背景には、ダイキャストやシェルモールドといった、マツダの優れた先進鋳造技術や、加工技術の素地があったからにほかならない。
首脳陣は、デザインこそ自動車という商品のもっとも魅力的な要素であるとし、3輪、4輪のトラックには、日本の工業デザインの第一人者である小杉二郎氏を招くと同時に、乗用車のデザインはイタリアのカロッツェリアであるベルトーネに発注した。
しかしファミリアについては、社内のデザイン能力の育成が、マツダ発展には不可欠との認識から、入社間もない若手デザイナーの案を採用したのであった。彼は、フラットデッキのデザインを巧みに融和させた個性的なスタイルを作り上げた。
64年には、ファミリアに4ドアセダンとトラックを追加し、65年にはクーペが追加となる。流麗さと野趣をあわせもつスペシャルティカーのファミリアクーペには、新設計の排気量1,000cc SOHC直列4気筒、68psエンジンを搭載し、最高速度は145km/h、0~400mの加速が18.9秒の俊足を誇った。
セダンには、「白いエンジン」の高性能版と、1,000ccのOHVを追加し、また、2速オートマチックを加えるなど、魅力を増していった。
初代ファミリアは、マツダの本格的な輸出の担い手にもなり、性能実証の場として海外レースへも積極的に参戦した。
発売の翌64年11月には、オーストラリアのニューサウスウェールズ州で開かれた耐久レースにおいて、ファミリアバンがクラス優勝を遂げている。66年には、シンガポールやマカオのツーリングカーレースに出場し、好成績を収め、68年からはじまるロータリーエンジン車によるヨーロッパの耐久レース参戦に向けた重要な布石となる経験を積み上げていったのであった。