カペラ(1970年~)
2章:4代目~5代目
FFに挑戦し、成功を収めた4代目
1982年9月、4代目カペラが誕生した。
それまでFRだった駆動方式をFFに一新。まだFRが主流だった開発当初、経営陣はFF採用に批判的であった。「経営状態の厳しいなか、新工場(防府)の建設に加え、多額の投資をしてFFに挑戦する必要があるのか」「ハンドリングを重視するマツダ車はFRの方が良いのではないか」
しかし、開発陣は居住性や軽量化の観点から「これからの時代はFFでなければ他社に勝てない」と、経営陣に繰り返しFFの採用を提案し続け、その執念がついにFFカペラの誕生につながった。
パワートレインは「マグナム」というニックネームの新開発エンジンを採用し、燃焼室と呼気ポートの形状を変更。先代から26kgもの軽量化に成功した。CMにはフランスの大物俳優アラン・ドロンを起用し話題を呼ぶなか、第3回日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得。1年目の防府工場はカペラ生産のためフル稼働し、年間生産台数は30万台に達した。欧州向けの生産が追いつかず、ヨーロッパでは納車待ちのお客さまに、前もって金の牛*1の置物を渡すというサービスも行われ、数々の話題・伝説に溢れたクルマとなった。
新技術を追求し続けた5代目
5代目カペラ誕生は、1987年。走行性能のリニアリティを追求し、世界初の車速感応式4WSを採用。量産エンジンでは初となるプレッシャーウェイブスーパーチャージャー付ディーゼルエンジンやフルタイム4WDを追加するなど、多くの新技術に挑戦したモデルとなった。特に4WSは全数検査を実施し、品質にも徹底的にこだわった。
翌1988年には、ステーションワゴンの先駆けといわれた7人乗りのカペラカーゴを追加。乗用車らしさを演出するため、滑らかな曲線を描くリアガラスをサプライヤーと一体となって追求、理想の形状を実現した。カペラカーゴは当時のステーションワゴンのなかで最も優れたデザインと評価された。
デザインセンター前でカー・オブ・ザ・イヤー受賞を祝して
この5代目はマツダの海外進出において重要な役割を果たした。米国ではMMUC(現AAI)が竣工し、5代目カペラクーペ*2を最初に生産。好調な売れ行きは、工場の活性化に貢献した。
また西ドイツでは、オートモーター・ウント・スポルト誌の「読者が選ぶインポート・カー・オブ・ザイヤー」に連続選出。これには日本の関係者も驚き、「ドイツでそんなにもカペラが売れているのか!」と、国内販社が見学ツアーを実施したほど。
ツアー参加者は、ドイツの街を走るカペラの多さに本当に驚いたという。
*1 金の牛はヨーロッパで手に入らないモノの象徴だった
*2 米国名はMX-6